19 October 2015

フィンランドの絵画 6 Suomi Maalauksia 6



今回もまた Edelfelt の絵についてです。 前にも述べましたが、フィンランドの絵画はさりげない瞬間を捉えた絵が多くあります。 私がフィンランドの絵画が好きな理由はこの点にあります。

     Edelfelt, Albert Boyes Playing on the Shore 1884

まず、この絵は岸辺で遊ぶ少年達を描いています。 Ateneum  アテネウムの解説によると、これはEdelfelt が夏過ごしたHaikko ハイッコの海岸だそうです。 Edelfelt はパリにもアトリエがあり、一年のかなりをそこで過ごしたとのことですが、夏にはここに来ていたとのことです。 Haikko はPorvoo の近くです。 

絵の真ん中に3人の少年がいます。その内の一人は岩の上にしゃがんで右手に持った木の枝で、海に浮かべた小さい帆船を触っています。 その少年のそばに立っているもう一人の子供は手に帆船を持っています。 これから、水に浮かべるところでしょうか。 少年たちの背景には島々が描かれています。 さらに、面白いことに、少年が手にしている枝の延長線上に蒸気船が描かれています。 子供が手にしている帆船と背景の蒸気船のコントラストが興味深いです。

この絵の光は、熱帯の強い日差しではなく、澄んだ空気の中の透明で柔らかい光だと思います。 日本ではこのような日差しは秋に見られるのではないでしょうか。 

どの絵でもそうですが、絵画を見ていつも感心することは光の表現です。感じられても実態として手に取って確認できないものを絵画の中に表すことが出来る、画家の観察力、表現力の才能というのは素晴らしいものだと思います。 
 
宗教画が中心だった中世期には絵画の中に距離感が殆ど表現されず、描かれている対象が薄暗い部屋の中で浮き出て見えるように、背景が金色に塗られていました。 それが、次第に絵画の中に遠近感を表す努力がなされ、表面的な描写から立体描写を試みるようになって、絵の中に奥行きが生まれ、さらに絵画に光の描写が入ってきました。 どの方角から光が差しているか、また何に光が当たっているかと言う事は、絵画にとって大切な要素の一つになったと思います。 









13 October 2015

クラムスコイの絵画によせて






この絵は以前に紹介したクラムスコイの娘さんの絵です。 タイトルは Portrait of Sophia Kramskaya, the Artist's Daughter. 1882. 

クラムスコイ(Ivan Nikolaevich Kramskoi   Ива́н Никола́евич Крамско́й )は19世紀に活躍したロシアの画家です。 クラムスコイは多くの肖像画やキリスト教を題材とした絵を残しています。 
フィンランドやロシアの絵画を見る時、いつも面白いと感じることは、肖像画のモデルとなっている人々が多彩であるということです。 皇帝、皇女から農夫や少年に至るまでいろいろな人々を区別することなく描いています。 前に取り上げた、Edelfelt にもその傾向が見られます。 

歴史的に考えてみると19世紀半ばはまだロシアにしてもフィンランドにしても帝政時代です。 でも、絵画を見ると、そこにはすでにいろいろな人々が題材として取り上げられ、階層の区別という考えが反映されていない態度が見られるのは、面白いことだと思います。 

さて、クラムスコイは何枚か'Portrait of an unknown woman'というタイトルの絵を残しています。 中でもこの絵は一番有名ではないでしょうか。1883年頃の作品といわれています。


1883,Неизвестная
この絵は日本にも来ましたし、私は2004年の夏にたまたま ヘルシンキでも見る機会がありました。
馬車に座っている女性。 よく見ると女性の来ている服の素材や毛皮、さらにサテンのリボンなどが実に写実的に描かれています。
この絵のロシア語のタイトルは,Неизвестная です。 英語のタイトルでは上記のとおりです。 この Неизвестная はGoogle Translate で訳してみると日本語では「不明」となります。 まあ 「不明」ではあまりに味気がありませんが、おそらく「見知らぬ人」とでもいうのでしょうか。 
 
ところが、日本の展覧会ではこの絵に「忘れえぬ女」というタイトルをつけていました。 最近のWiki では「見知らぬ女」と呼んでいるものもありますが…。
絵画のタイトルは画家が付けるものです。 外国の画家の場合は直接日本語に直すというのは困難な場合がいろいろありますが、「Неизвестная -不明」 もしくは「Unknown」 を 「忘れえぬ人」としてしまうのはあまりに感傷的で、飛躍しすぎた翻訳だと思います。 第三者が勝手に解釈と意味を加えてしまうのはやりすぎではないでしょうか。