25 December 2015

やかまし村の子供たち Barnen i Bullerbyn 







久しぶりに、「やかまし村の子供たち」「やかまし村の春夏秋冬」「やかまし村はいつもにぎやか」を読みました。

何年ぶりでしょうか。 子供の時、大好きで何度も何度も読み返していた本です。 Wikipedia によると、この本は1944年から1966年にかけて 出版されたそうです。 

私が持っていたのは1964年に岩波書店から発行されたハードカバーの本でした。 

作者は Astrid Lindgren (1907-2002)

リンドグレーンの本は日本でも大変人気がありました。学校の図書館にもいろいろなシリーズが入っており、ずいぶんと借りて読んだものです。 

でも、私が一番好きだったのは「やかまし村 Barnen i Bullerbyn」のシリーズでした。 

この本を通じて、スウェーデンについて学んだといっても過言ではないと思います。 現在の北欧好きは恐らく、この本が大きく影響していると思います。 



子供の時はまだスウェーデンという国は、地理的にだけではなく文化的にも、知識的にも遠い国でした。  白夜、湖、森、そり遊び、大みそかの遊び、学校、クリスマス、など、この本によってこの北の国について学んだと思います。




初めて「やかましむらのクリスマス」の章を読んだ時、「ほかのところではクリスマスがいつ始まるのか、私は、知りません。 でもこのやかまし村にクリスマスがやってくるのは、私たちがショウガ入りクッキーを焼く日なんです。」という文章の意味が解りませんでした。

子供の頃、日本人の私にとってはクリスマスは12月24日のイヴだけでしたので、この文は一体どういう意味なのかと不思議でした。 どうして、クリスマスがそんなに長いのだろうかと不思議に思っていました。

もちろん、キリスト教について詳しく知るようになってから、それは待降節の始まりを意味していたのだと解りましたが…。 




東京でも私が小学生の時、アメリカザリガニというのが男の子たちの間で人気がありました。 私は気持ちが悪くて、触ることが出来ませんでしたが、ザリガニというとこのアメリカザリガニを思い浮かべたものです。 当然 日本では食用とは考えられていませんでしたので、子供が川で釣ってくる生き物という理解しかありませんでした。

でも、この「やかまし村」のお話しの中に、村中でザリガニを取りにいく話があります。前の晩に湖に籠を仕掛けて翌朝その籠を引き上げてザリガニを取るのです。 一晩湖のそばでキャンプをする話が描かれています。 それを読んで、「ザリガニを食べる」ということに非常に驚いた記憶があります。




今では、ロンドンでもザリガニを簡単に買うことが出来ますし、それを使ったサンドイッチもありますので、珍しい食べ物ではなくなりました。 しかし、もちろん、北欧の人たちのようなザリガニの楽しみ方はここではありません。 

一度、夏の終わりにヘルシンキに行った時、シーズン最後のザリガニを食べました。 上の写真がそうですが、時価で非常に高かったのを覚えています。 贅沢なデリカシーなのでしょう。

この子供たちの生活は非常に単純で、現代の私たちが持っている便利さは一つもありません。 しかし、自然の中でその自然とともに生き、不便さの中にも喜びを楽しみを見つけている子供たちの生活を読むたびに、便利さ、快適さの追求だけに生きている私たちが失ってしまったもの、見失ってしまうものをこの本の中に見つけれうことが出来ます。 

大人になってから読んでも、そのいきいきとした「やかまし村」の子供たちの生活に心を豊かにされる本だと思います。  

 

6 December 2015

ロンドンのトナカイ Poroja Lontoossa






久しぶりのブログです。 ここのところ、仕事が忙しくてゆっくりブログの内容を考えたり、写真を選んだりできませんでした。

さて、今日のブログは感傷的且つ非常に主観的です。 そもそもブログというものは主観的なものなので、改めてそういうと、なんだか「頭痛が痛い」と言っているようですが…。

週末に家の近くの公園でクリスマス前のクラフトマーケットが開かれました。 この日は通常のフードマーケットに加えて、工芸品の露店も立ちました。 更に、小規模ながら移動遊園地も開かれ、音楽の演奏も加わって、なかなか賑やかでした。

さて、いろいろな店を見回っていると、小さな囲いが見えました。子供や大人が中を見ています。 何やら動物がいる様子…と思い近寄ってみると、なんとそれはトナカイでした。

クリスマス前ということでしょうか。 トナカイが3匹囲いの中にいました。 思わず近寄ってしゃがむと一番小さなトナカイ(上の写真のトナカイです)がいきなり私の方めがけてやってきました。 私がトナカイが大好きであることが分かったのかどうかは分かりませんが、静かに撫でてみると、怖がらずに撫でさせてくれました。このブログを読んでくださっている皆さんはご存知だと思いますが、私はトナカイが大好きで、フィンランドではたくさん見てきました。


 

ところが、ここにいた3匹は、フィンランドでは見たこともないような、貧相で小ぶりのトナカイでした。 角の長さを見ていると、下の写真のトナカイと同じくらいですが、毛並みも悪く、これほど惨めなトナカイを見たことはありませんでした。

果たしてちゃんとした扱いを受けているのか心配になったほどですが、 周りにいた人たちはどうやらそのことには全然気づいていないようでした。





  都会でも、生きた動物に触れる機会があるというのはいいことだと思います。 子供たちも普段見たことのない動物をみて楽しそうにしていました。 しかし、本来自然の中にいるべき動物が人間の管理のもとに置かれ、不自然な環境に曝されるのを見て、複雑な気持ちになり、考えされられてしまいました。                        

      


もちろん、ラップランドでもトナカイたちは人間に飼われています。 ですから、ロンドンのトナカイも決して悪いわけではありません。 でも、一体この違和感はいったい何なのでしょうか…。 これが、羊やヤギだったら、同じように感じたでしょうか…。ただ、もちろんロンドンのトナカイ達がどのように感じていたかはわかりません。

 恐らく、私の頭の中ではトナカイは北に住むものという固定観念がしっかりと根付いてしまっているのではないかと思います。




19 October 2015

フィンランドの絵画 6 Suomi Maalauksia 6



今回もまた Edelfelt の絵についてです。 前にも述べましたが、フィンランドの絵画はさりげない瞬間を捉えた絵が多くあります。 私がフィンランドの絵画が好きな理由はこの点にあります。

     Edelfelt, Albert Boyes Playing on the Shore 1884

まず、この絵は岸辺で遊ぶ少年達を描いています。 Ateneum  アテネウムの解説によると、これはEdelfelt が夏過ごしたHaikko ハイッコの海岸だそうです。 Edelfelt はパリにもアトリエがあり、一年のかなりをそこで過ごしたとのことですが、夏にはここに来ていたとのことです。 Haikko はPorvoo の近くです。 

絵の真ん中に3人の少年がいます。その内の一人は岩の上にしゃがんで右手に持った木の枝で、海に浮かべた小さい帆船を触っています。 その少年のそばに立っているもう一人の子供は手に帆船を持っています。 これから、水に浮かべるところでしょうか。 少年たちの背景には島々が描かれています。 さらに、面白いことに、少年が手にしている枝の延長線上に蒸気船が描かれています。 子供が手にしている帆船と背景の蒸気船のコントラストが興味深いです。

この絵の光は、熱帯の強い日差しではなく、澄んだ空気の中の透明で柔らかい光だと思います。 日本ではこのような日差しは秋に見られるのではないでしょうか。 

どの絵でもそうですが、絵画を見ていつも感心することは光の表現です。感じられても実態として手に取って確認できないものを絵画の中に表すことが出来る、画家の観察力、表現力の才能というのは素晴らしいものだと思います。 
 
宗教画が中心だった中世期には絵画の中に距離感が殆ど表現されず、描かれている対象が薄暗い部屋の中で浮き出て見えるように、背景が金色に塗られていました。 それが、次第に絵画の中に遠近感を表す努力がなされ、表面的な描写から立体描写を試みるようになって、絵の中に奥行きが生まれ、さらに絵画に光の描写が入ってきました。 どの方角から光が差しているか、また何に光が当たっているかと言う事は、絵画にとって大切な要素の一つになったと思います。 









13 October 2015

クラムスコイの絵画によせて






この絵は以前に紹介したクラムスコイの娘さんの絵です。 タイトルは Portrait of Sophia Kramskaya, the Artist's Daughter. 1882. 

クラムスコイ(Ivan Nikolaevich Kramskoi   Ива́н Никола́евич Крамско́й )は19世紀に活躍したロシアの画家です。 クラムスコイは多くの肖像画やキリスト教を題材とした絵を残しています。 
フィンランドやロシアの絵画を見る時、いつも面白いと感じることは、肖像画のモデルとなっている人々が多彩であるということです。 皇帝、皇女から農夫や少年に至るまでいろいろな人々を区別することなく描いています。 前に取り上げた、Edelfelt にもその傾向が見られます。 

歴史的に考えてみると19世紀半ばはまだロシアにしてもフィンランドにしても帝政時代です。 でも、絵画を見ると、そこにはすでにいろいろな人々が題材として取り上げられ、階層の区別という考えが反映されていない態度が見られるのは、面白いことだと思います。 

さて、クラムスコイは何枚か'Portrait of an unknown woman'というタイトルの絵を残しています。 中でもこの絵は一番有名ではないでしょうか。1883年頃の作品といわれています。


1883,Неизвестная
この絵は日本にも来ましたし、私は2004年の夏にたまたま ヘルシンキでも見る機会がありました。
馬車に座っている女性。 よく見ると女性の来ている服の素材や毛皮、さらにサテンのリボンなどが実に写実的に描かれています。
この絵のロシア語のタイトルは,Неизвестная です。 英語のタイトルでは上記のとおりです。 この Неизвестная はGoogle Translate で訳してみると日本語では「不明」となります。 まあ 「不明」ではあまりに味気がありませんが、おそらく「見知らぬ人」とでもいうのでしょうか。 
 
ところが、日本の展覧会ではこの絵に「忘れえぬ女」というタイトルをつけていました。 最近のWiki では「見知らぬ女」と呼んでいるものもありますが…。
絵画のタイトルは画家が付けるものです。 外国の画家の場合は直接日本語に直すというのは困難な場合がいろいろありますが、「Неизвестная -不明」 もしくは「Unknown」 を 「忘れえぬ人」としてしまうのはあまりに感傷的で、飛躍しすぎた翻訳だと思います。 第三者が勝手に解釈と意味を加えてしまうのはやりすぎではないでしょうか。 


12 September 2015

フィンランドの絵画 5 Suomi Maalauksia 5



以前のブログ「フィンランドの絵画 2」で触れましたが、19世紀のフィンランド絵画の中には厳しい生活を反映している絵が見られます。 ここで紹介する2枚は特にその特徴を表しているのではないでしょうか。


Edelfelt, Albert 1879 Laspen ruumissaatto
         なき子の棺を運ぶ家族

Albert Edelfelt は風刺画、肖像画、生活画、宗教画など幅広い作品を多く残しています。 
この絵は一般の人の生活の一場面を表したものです。 初めてこの絵を見た時に、深い印象を覚えました。
 
なき子の棺をボートで運んでいる家族。 私が過去に研究したり、親しんだりした西洋美術のイメージとはかなり異なるものでした。 暗い絵と一言で言ってしまえばそれだけですが、一度見たら忘れられない絵だと思います。 船の真ん中に斜めに置かれている小さな棺、その前に悲しげな顔をした小さな子供が描かれています。そして、その子は小さな花束を左手にしっかりと握りしめています。 その子の後ろにはやや厳しい面持ちの女性。 おそらく聖書でしょう、本を両手で持っています。右に描かれている舟をこいでいる二人。 おそらくこの子の両親でしょうか。 男性の向こう側の女性の顔は男性と重なっているため、全くわかりません。 誰一人として激しく感情を顔に表してはいませんが、堅く一文字に結ばれた口に、どうにもならないような怒り、あきらめ、悲しみと、沈んだ心がそこに表されていると思います。 

  


Gebhard, Albert 1895  Orpo
          孤児

こちらは、Orpo (孤児又は捨て子英語のタイトルはAbandoned)です。 木のベンチのようなところに横たわっている子供。 目を大きく見開いて何かを見つめています。この子の腰から下は布で覆われています。周りに人のいる気配はなく、ベッドの下には木の桶が一つ置いてあり、子供の足元にはフィンランドではよく見かける白樺で編んだバスケット。 バスケットや桶と同じように、ただ置き去りにされ、忘れられてしまったかのような、そんな印象を受ける絵です。

この、2枚の絵は気が滅入ってしまうような題材を取り上げていますが、そこから、当時の厳しい状況が見て取れると思います。 子供が成長することが、大変だった時代。 移動するのに湖を渡っていかなければならない生活。 また 子供を育てることが出来ない事情、など色々なことを語り掛け、伝えていると思います。 

宗教画や、肖像画も面白いですが、一般の人々の生活を描いた絵画は、名もない人々の姿を通して、いろいろなことを学び考えさせられ、非常に興味深いものです。





30 August 2015

アメジスト Ametisti





 


ルオスト Luosto に 観光を目的とした、アメジストの鉱山が あります。写真は 私がそこで掘ったアメジストです。

 

 ここは比較的大きな鉱山だそうですが、ブラジルなど他にアメジストを多く産する国とはコストの上で全く競争にならないため、輸出用とせずこのような観光鉱山としているそうです。 

 

鉱山の入り口まではこのように比較的石の多い所を上っていきました。 上りやすいように階段が付けてあります。 まだ観光シーズンだったので結構多くの人たちが訪れていました。 ツアーで来た人もいたようです。 
 

実際にアメジストを掘る前にフィンランド語のグループと英語のグループに分かれて、鉱山についての説明を暖かいベリーのジュースを飲みながら聞きました。 このグループではドイツ、スペインなどいろいろな国から観光客が来ていましたが、日本人は私たちだけでした。 右側の写真の端に立ってサーモンピンクの上着を着ている人が説明してくれました。 この人はなんとフランス人でした。 



実際にアメジスト採掘体験ができる場所はこんな感じのところでした。地面には結構大きめの石が転がっていて、歩くのが難しかったです。 また 結構高いところに位置していますので気温も低く風もありました。


説明では20cmも掘ったらアメジストが出てくるとありましたが、実際に掘ってみると結構難しく、どれがアメジストなのかよくわからないことがありましたし、見つけることのできない人もいました。
掘ったアメジストは特別に大きく珍しいもの以外は持って帰ってよいとのことでしたので、私は自分で掘ったこのアメジストをラップランドのお土産として持って帰りました。 




21 August 2015

トナカイ ( poro )


Rovaniemi から更に北に行ったところに、Luosto という所があります。 ここはもう正真正銘のラップランドです。 
ホテルを出発してハイキングを始めたところで、初めてトナカイ(フィンランド語 Poro)を見ました。 


野生のトナカイは少ないそうで、自由に行動していても、持ち主がいるものがほとんどだそうです。 よく見ると耳に何かタグのようなものがついていたり、印がついているものが多かったです。


トナカイは日本やイギリスの鹿と比べて全体が少しずんぐりしています。 この写真は夏の写真なので、角のところがまで少し柔らかい感じがします。 

2枚目の写真は夕方ホテルの近所を散歩していた時に、見かけたトナカイです。 こちらは5、6匹群れで休んでいました。 こちらが静かに近づいていくと、ある一定の距離までは近づかせてくれましたが、そこをこちらが超えると静かに立ち上がって、さりげなくこちらとの距離を保っていました。 面白いですね。 

トナカイというと、クリスマスにサンタクロースの橇を曳いて空を飛んでいくイメージがありますが、実は、この空飛ぶトナカイのイメージのオリジナルはずっと古く、Piers Vitebsky の"Reindeer People" (2005 Harper Perennial ISBN-13 978-0-00-713363-5) によると、西モンゴルとその先の西アルタイ山脈から、中国北東地方の境あたりまで、立っているおよそ3000年前の青銅器時代に作られたReindeer stone に あたかも空を飛んでいるかのようなトナカイの姿が描かれているそうです。

北極圏で暮らす、人々にとってトナカイは荷物を運んだり、移動したりするのに大切な手段でもあるのです。 Vitebsky の本には 実際に馬に乗るようにトナカイに乗っている人々の写真も記されています。

トナカイの肉はもちろん食用にも使われます。 フィンランドのスーパーや肉やなどでも見かけますが、他の肉に比べて少し高めです。 何度かフィンランドで食べてみましたが、ヘルシンキのホテルのレストランで食べたトナカイの肉より、ラップランドで食べた素朴なトナカイ料理の方が、肉の匂いも少なく柔らかかったです。 やはり、地元で食べるのがいいのでしょうか。

北海道の幌延町にフィンランドのSami に弟子入りしてトナカイの飼育方法を学び、自らトナカイ牧場を開いている人がいると聞きました。 この人はまず、フィンランド語を勉強し、その後ラップランドに行って、Sami と生活したそうです。 

以前、ヘルシンキー東京路線のFinnair には日本語のKiitos という無料機内雑誌があり、そこにこの話が書いてありました。 いろいろ、フィンランドに関しての面白い話題が出ていましたが、経費節約でしょうか、残念ながらもう現在ではありません。



17 August 2015

北回帰線 Arctic Circle




そして、この線は中を通っている北回帰線です。



この線から北側(この写真では左) が北極圏です。日本の緯度は35°39'29.1572 ですから、30度以上北になります。 

初めてフィンランドに行ったとき、北極圏の北でしか取れないベリーがあるというのを聞きました。 名前はMesimarja (Robus arcticus) 英語では Arctic bramble/rasberry だそうです。日本語はないようですが、メシマリア、又は北極キイチゴとでもいうのでしょうか。 ジャムやリキュールは買ったことがありますが、生の物をマーケットなどでは見た覚えがありません。メシマリアは赤くて小さいベリーですが、イチゴの赤さとも、ラズベリーの赤さとも違います。 こうしてみると自然には色々な赤があるのだなあと改めて感心してしまいます。 

余談ですが、緑もそうだと思います。 自然の中でみる木々の緑はそれぞれ微妙に違い、一つとして同じものはないですね。 素晴らしいことだと思います。

さて、このメシマリアで作った商品ですが、空港では簡単に手に入れることが出来ます。 

ヘルシンキ空港ではEU圏内に出発する人と、EU外に出発する人とで、値段が違うものがあり、商品に両方の価格が記されています。 アルコールはこの種類の中に入るようで、EU外に行く前に買い物をする場合は金額が安い方を支払うことになっています。 ジャムはEU圏内、圏外同じ値段です。 ジャムは瓶のサイズからして、ちょっと高めですが、珍しいものなのでつい、買ってしまいます。 

北極圏と言えば、針葉樹林帯、Taiga ( тайга́ ) ですが、この針葉樹林帯の中を歩くと本当にホッとします。 Finlandは国立公園がよく整っていて、いろいろなハイキングコースがあり、自分のレベルに合わせてそのコースを選べます。 また、コースの表示は、自然の邪魔になることが内容に作られていますが、わかりやすくできていると思います。 



天気によってイメージが全く違うのが印象的でした。

ラップランドをハイキングしていると、よくアカマツを見ます。 アカマツというと、すぐに松茸を思い出してしまうのですが、勿論、見かけることはありませんでした。 けれども、フィンランド人から聞いた話によると、松茸がフィンランドでも取れるそうです。 日本に輸出したらとつい、考えがちですが、話を聞いた当時はセシウムの量が問題になるので日本には輸出できないとのことでした。 でも、それは、今から約10年ぐらい前ですから、現在はどうなっているでしょうか。   



 

9 August 2015

From Northern Star

Dear my readers

Thank you for visiting and reading "Tales from Northern Star".  

I have noticed my readers are in US, UK,  Україна and Japan and unexpectedly so many people have come to my blog!      

As I write my blogs in Japanese, I am so surprised to know this fact.  

Do you read my blog in Japanese, or use an application such as Google translate? 

Funny thing is, when I started, I thought only Japanese people were going to access my blogs but it turned out that I was completely wrong.

I just would like to say thank you and I hope you enjoy my post.










27 July 2015

アルクティクム Arktikum Tiedekeskus ja Museo (Museum and Arctic Science Centre)

Arktikum (アルクティクム 北極圏情報センター)

聞きなれない名前かもしれませんが、この博物館は実はRovaniemi (ロヴァ二エミ)にあります。

この ブログを読んでくださっている方々は、ご想像できるかと思いますが、私は北、それも北極圏の文化に興味がありますし、そこの自然や風景が好きです。

私たちが行ったのは8月半ばでしたが、この日は曇りで気温は16℃でした。

ロヴァ二エミの空港は動物のぬいぐるみなどが荷物受取のターンテーブルに飾ってあるこじんまりとした可愛らしい所でした。




   


Rovaniemi というと、サンタクロースで有名ですが、もちろんそれだけではありません。

ここは あの Lordi の出身地でもあります。 実はRovaniemi の街の中心に彼らの手形があります。
 


そして、さらにタイトルにした Arktikum.  ここは最初の予定には入っていませんでした。 でも、観光案内所でここを勧められたので行ってみることにしたのです。

行ってみると、非常に面白くよくできた博物館でした。 北極圏に住んでいる人たちの生活、歴史、文化を垣間見ることが出来るだけでなく、その自然も非常によく展示されていたと思います。

余談ですが、よくフィンランドで感じることですが、地方の博物館や美術館を訪れるとその質の高さに驚かされます。 規模は小さいところが多いですが、その分中身は非常に充実していてその教養の高さは世界に勝るところがたくさんあると思います。 

フィンランドは日本やイギリスなどと比べると人口も非常に少なく世界の舞台に表立って出てくるような国ではないような印象があります。 

私の住んでいるイギリスではフィンランドの場所、首都、また EUであるということなどまったく知らない人もいます。 克て一世を風靡した Nokia phone がフィンランドの会社であったということすら知らないで使っていた人も多いと思います。 さらに、その発音からNokia を日本の会社だと勘違いしていた人に会ったこともあります。 

さて、ここでは北極圏についての情報が調べられます。 このセンターのウェブサイトは非常に興味深いです。

いつも、北極圏に住んでいる人々について考えるとき、人間とは本当に不思議なものだと思ってしまいます。

何故そのように人が住みにくいところに住んでいるのか。 現代人はそこに住まなくてもいいのですね。それでも、そこに住み、その生活習慣を守り続ける。特に厳しい自然のなかで生活していると、生存と文化保存は一体であり、また、それが義務や使命ではなく、本能のようなものになるのでしょうか。 
 
日本やイギリスといった極地に比べて非常に住みやすいところに生まれ育ち、生活しているとどうしても、そんな疑問が浮かんできてしまいます。 


 



19 July 2015

Koli  自然と芸術


Koli の自然は 日本では見たこともないようなものでした。美しいというよりも時の重みを感じさせるようなそんな荘厳な景色でした。

 



ここの自然に魅せられ、大きく影響されて数々の作品を残している芸術家がいます。

Eero Järnefert (エーロ ヤルネフェルト 1863-1937)もその一人で、実は 彼はJean Sibelius (ヤン・シベリウス)の奥さんのAino (アイノ)のお兄さんです。 
彼の作品の中に シベリウスの肖像画も見られます。

さて、 Eero Järnefert  はKoli の風景を多く残していますし、また、シベリウスをKoli に連れて行った人のようです。


Pielisjärvi の秋の風景  Eero Järnefert 1899

Pielisjärvi というのは、Pielinenn 湖 という意味です。 Koli はこの湖の湖岸にあります。 

私が行ったのは真夏でした。写真のようにまぶしいほどの太陽とその光を移す湖が印象的でした。 

 一方 Järnefert の絵は秋です。 手前に描かれている白樺の葉はもう黄色に染まっています。 

太陽が雲に隠れていて、雲が岩の上までかかっています。雪が降る前の、秋の静かですこし物悲しい雰囲気を表しているようなそんな絵だと思いました。


                                                           Maisema Kolilta  Eero Järnefert 1928

それと反対に、この絵はおそらく夏のKoli を描いているのではないでしょうか。 

この絵のタイトル、 Maisema Kolilta はおそらく 日本語では「コリの風景」だと思います。 

この絵を初めて見たとき、 木のてっぺんがまっすぐ伸びずに、湾曲しているのがとても不思議
かつ、印象的でした。 長い時を経て成長した木が厳しい自然に耐えかねて曲がってしまったかのような。 そんな印象を受けました。 
よく晴れた日で、湖面が青くひかり、手前の岩には影が映っています。 

Koliに行ったら、このような木があるのかどうか確かめたかったのですが、果たして、てっぺんが左に湾曲している木がありました。
そして、この絵にあるように、このように非常に澄んだ空気が感じられました。


この写真の一番左にある木の上を見てください 


フィンランドの作曲家 Jean Sibelius (1892 - 1957 ) の 交響曲第4番イ短調 も Koli の印象を曲に表していると言われています。

なんとも重厚で深淵な印象の曲です。 他の、シベリウスの曲のイメージとは少し異なるのではないでしょうか。 
色々な指揮者がシベリウスのこの曲を演奏していますが、独断と偏見で、やはり、私は 
Lahti Symphony Orchestra Osmo Vänskä, (ラハティ 交響楽団 オスモ ヴァンスカ)のものが一番好きです。
余談ですが、Lahti にはSibelius Hall と呼ばれる素晴らしいコンサートホールがあります。


美しい自然、広大な自然 というものに人々は魅せられることが多いですが、ただ、そこに存在するだけで人間に大きな影響を与えるものなのだと、Koli の自然を見てそう感じさせられました。 


17 July 2015

Karelia カレリア



フィンランド人に、夏にフィンランドに行くとしたら、どこがいいか と質問したことがあります。

その人は、「それなら、是非 Koli コリ に行きなさい。」 と Koli を勧めてくれました。

Koli は北カレリア地方に位置します。フィンランド語ではカーリヤラ(Karjala)です。

Koli について書く前にカレリアについて少し書きたいと思います。 

カレリアは歴史的に複雑で特に、ラドガ湖周辺は冬戦争(1939-1940)以来旧ソビエト(ロシア)に割譲されています。 

現在地図上で見られるカレリア共和国 は ロシア連邦の一部です。

ロシアといっても、地名はフィンランド語のような発音をするところが現在も多くみられるのは、その歴史的な背景のためではないでしょうか。

一般的に、カレリアの問題についてメディアで触れられることは少ないですが、フィンランド人の中には個人的にカレリアが割譲されたことを悲しく思っている人もいるようです。 割譲によってその地を追われたカレリア住民の生活、記録、思いをつづった本もあります。 ("Remembering Karelia - A Family's Story opf Displacement during and after the Finish Wars"  by Karen Armstrong 2004)


さて、もう一つ、カレリアといえば、「カレリアンパイ Karjalan Piirakka 」ではないでしょうか。


ミルクを混ぜてクリーム状にしたお米が中に詰まっているパイです。

フィンランドのホテルの朝食には必ずこれがあります。 たいてい、卵バターをつけて食べます。 人によって好き嫌いがあるようですが、私はこのなんとも言えない不思議なパイが大好きです。私は、これを食べなければフィンランドに来たと感じられません。 

スーパーやデパートの食品売り場などで買うことが出来ます。 

ロンドンにも北欧の食べ物を出すカフェがあり、そこでこのパイを食べることが出来ます。



さて、まず、初めて行ったカレリア地方の街は Joensuu ヨエンスー でした。 

へルシンキから飛行機で日本へ向かう時に必ず、上空を通過していく街です。  

街としては大きな街ですが、人口はたいへん少なく、夏であったにもかかわらず、町全体は非常に日中は静かでした。
 



ここに行ったときには、初めてたくさんのキノコを見ました。 あまりにそれが珍しくて今、その時のアルバムを振り返ってみるとキノコの写真ばかりが見られます。

 



「昼間は静か」と先に述べましたが、実は週末の夜に思いもかけないことがありました。

なんと、夜中にバイクの爆音が響きました。 

写真の通り、街は車も少なく、まっすぐな道が続いています。 スピードを出すのにぴったりの条件なんですね。

ヨエンスーの若者たちは(多分、若者でしょう)このようにして楽しむのでしょうか。 まあ 少々迷惑ではありましたが。 








12 July 2015

フィンランドの絵画 4 マリア ウィーク




Maria Wiik 1889

ヘレネ シェルフベックと ほぼ同時代に活躍した女性画家に マリア ウィーク (Maria Wiik 2 August 1853 - 19 June 1928 ) がいます。 彼女もヘルシンキで生まれ、ヘレネ シェルフベック(Helene Schjefbeck)の友達でもありました。



この絵のタイトルは Maailmalle (世界)です。 英語のタイトルではOut into the worldとなっています。 

これから出かけていく支度をしている女性。 足元にはカバンが見えます。 彼女のは毅然とした表情で衣服を整えているようなそんな仕草をしています。 

立っている彼女の後ろに座っているのはお母さんでしょうか。 自信に満ちた彼女の表情に対して、この老女の表情は複雑です。 心配、と あきらめの混ざったようななんとも頼りない表情。

この絵は1900年 パリの万国博覧会で 銅メダルを受賞しています。 


  
                                                                       Akseli Gallen-Kallela 1893  
 
さて、この絵のタイトルは Windswept Girl 日本語では「風に立ち向かう少女」とでも言うのでしょうか。 この絵はAkseli Gallen-Kallela (アクセリ ガーレン‐カッレラ)の作品です。

場面は崖の上、強い風が吹いています。 彼女の髪も風に流され、スカートも大きく揺れています。下に描かれているのは湖でしょうか、それとも海でしょうか。 水面が荒れています。

背景は全く違う絵ですが、この少女の動作はマリア ウィークの作品と殆ど同じです。 ガーレン‐カッレラは室内から屋外に場面を変えて同じようなモチーフの絵を1893年に描いています。

私のフィンランド語の知識はまだまだ学術書が読めるまでに至っていませんので、この二人の画家にどのような交流があったのかはわかりません。 

ただ、両画家とも、ほぼ同時にパリに滞在していますし、フィンランド人同士、交流があったことは容易に想像できます。 

画家が他の画家のモチーフを利用することはよくあることですが、外の世界に旅立つ支度をしている女性の姿を疾風が吹いている崖の上に立つ少女の姿として現していることが非常に興味深く、多くを物語っている作品だと思います。


10 July 2015

フィンランドの絵画 3 ヘレネ シェルフベック


Self portrait 1884-1885 (自画像 1884年-1885年)

Helene Schjefbeck は 1862年 7月10日 にヘルシンキで生まれました。 

そうです、今日です。 生誕153年というところでしょうか。 

彼女は多くの自画像を残していることで有名ですが、今回の日本での展覧会でもその一部が見られるのではないでしょうか。

年齢を重ねるにつれて簡略化されていく彼女の自画像。 
    
1885年

 1912年 

 1944年

1945年

晩年の彼女の自画像はほとんど線と影だけになっています。 面白いのは彼女の眼差し。1885年、1912年、1945年の自画像はほとんど同じ方向を見つめています。

そして簡略化度が増すにつれてそこに表現されているものは深く、見るものに多くを語っているように思います。 
画家としてその技術が向上するにつれて、簡単な表現でより深いものを表すことが出来るようになるのでしょうね。

ドイツ語と英語ですが、面白い画像を見つけました。 ご覧になりたい方は、画像の文字をクリックしてください。